~地球の声に耳を傾ける~
エコピープル

2023年夏号 Ecopeople 96亀山章さんインタビュー

尾瀬ヶ原の木道

1 日本自然保護協会について教えてください

編集部
創設から70余年の歴史を持つ日本自然保護協会、その活動内容について教えてください。

亀山
主に6つの活動が挙げられると思います。
一つ目は、「一度失うと二度と元には戻せない貴重な自然」を守る活動。二つ目はイヌワシなどの「絶滅危惧種の保全とその生息地を守る活動」。三つ目は「自然の恵みを生かした地域づくりを進める連携活動」、そして四つ目は自然と人との間をつなぐ“導き手”となる「自然観察指導員」の養成をはじめとした、実際に現場で活動する「自然の守り手を増やす人材育成活動」、五つ目は自然保護に関する法整備の動向を見守り、政府等に「自然保護政策の提言」をする活動、そして六つ目は「国際的なネットワーキング」を堅持し、最新の情報収集をし、それらを迅速に国内の取り組みに生かしていく活動に分類されます。



編集部
自然保護を実現するためのやるべきことを全て視界に捉え、実施されていらっしゃるんですね。
ところで、日本自然保護協会が活動をスタートされたのは1951年とのことですが、この時期はまさに日本が経済発展を最優先していた戦後復興の真只中ですよね。当時の社会の空気は自然を保護しようとするような考えが支持されるには程遠い状況だったのではないでしょうか?

亀山
ご想像の通りです。1945年に終戦を迎えた日本は戦争で何もかも失い、あらゆる場面で物資が不足していました。とりわけ復旧に向け、急増するエネルギー需要を満たす供給量は逼迫していました。石油等が産出しない我が国にとってのエネルギー確保の手段として白羽の矢が立ったのは豊かな水資源、各地の河川で水力発電所のダム建築計画が持ち上がっていました。黒部渓谷の黒部ダム、奈良県の北山川の坂本ダムなど、電力会社によるダム建設計画が各地で進行していたのです。
まさにこのタイミング、日本自然保護協会の活動のコアとなる思想「一度失ってしまったら、二度と元には戻せない自然破壊」につながるダム建設計画が尾瀬で持ち上がったのです。
日本自然保護協会の前身「尾瀬保存期成同盟」は1949年、尾瀬ヶ原湿原を水没させる事になる尾瀬第一・第二発電所計画への反対運動として、18名の発起人によってスタートしたのです。

尾瀬 アヤメ平より鳩待峠への木道(1965年)








編集部
自然保護という概念が一般の人々にはまだ通じなかったでしょうし、ダム建設の開発が進むということに現地の人は反対より歓迎ムードの方が強かったのではないかと想像しますが…。

亀山
はい、現地はダム開発に対し歓迎と反対とに揺れ動いていました。この反対運動で実際に動いた中心は、尾瀬の自然を愛する人たち、すなわち、尾瀬を日光国立公園の一部として指定した官僚、山を愛する登山家や文化人、都会在住の生物学者やメディア関係者でした(現在の国立公園の管轄官庁は環境省)。
各地のダム建設が進行した中で、尾瀬でのダム建設を阻止に持ち込むことができた背景には、尾瀬湿原のミズバショウの美しい群生が既に広く知られていたこと、さらにここが国立公園内であったことが有利に働いたと思います。