ノマドの世紀に第9回

 

写真:南極

タイトル

モスクワから成田へ戻ると暖冬のTOKYO。
確かに日本の冬はもう少しぴりっと
冷えたほうがいいな、などと渋滞の高速で考える。
暖房設備や防寒具のせいもあるのだろうけど、
かあさんがよなべをして手袋を編んでくれたような
たしかデュークエイセスの歌で覚えているような世界は
もうわが子に語っても通じない。
すでに昭和ですら遠くになりにけりだ。

でも寒いったっておロシアなどたかがしれているさ、
やっぱ南極でしょう、こうなれば。

で、20年ほど前にわたし行きました。南極。
パタゴニアの先の先、ウスワイヤから激しく揺れるドレーク海峡を通り抜け、
目の前に南極の氷山を見たときは、そりゃカンドーしました。
宇宙空間へ飛び出したみたい。
相当いろいろ旅をして歩いたけど、
とうとうこんなとこまで来ちゃったかなあ、という感じ。

でも、南極はすでにやばかった。
地球規模の汚染の予兆がいたるところにあって、
このままじゃ21世紀はどうなるんだろう、と、
船に乗り合わせた人たちといろいろ議論したのを思い出す。

地球の果てまで行ってみて、
ようやくこの星には限りがあるということに気がついた。
それまではっきりイメージできなかったのだ。
氷点下何十度かの氷上で気がついた、地球は有限である、との自覚。
それは、人はいつか死ぬ有限の存在である、ということに通じる。
初めて哲学や宗教の生まれる瞬間を感じた気がする。