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釣りを通して、僕は気づいた

――佐竹シェフは、畑さんの言葉を耳にされる以前からずっと、釣りを楽しんでいらしたんですよね?

 畑さんの言葉を考えるようになるまでの僕の釣りは、まさに物質主義でした。何匹釣れるか、何センチの魚が釣れるか、それがテーマ。釣れなければ場所を変えて、どんどん移動する。だから、釣った場所の景色さえ覚えていなかったんです。川が流れ、清涼な空気がある。緑の中で飯盒炊飯をする喜び。それらにはまったく気づかずに、獲物がかからなければ「釣れないじゃないか、ここ」と言って、また別の場所へ行くんです。福島がダメなら、新潟。新潟がダメなら、また次の場所へ。結局、それは「ダメにしていく」過程なわけでしょう? 自分でも、おかしいな、おかしいな、と思いながら、技術と道具に凝るしかなかったんですよ。
 畑さんの“順応”という言葉に出会ったのは、そんなときでした。順応って一体どういうことだろう。それを考えつつ、釣りを目的に山通いを続けていました。そして、「なるほど、順応とはこういうことか」という感覚を会得していった。体感していったんです。言葉で考えてもダメです。言葉で考えるのは止めて、まず、感じることが必要でした。
 具体的には、2週間に1度くらいの頻度で、山梨に通っていました。仕事が終わった後、新宿から夜行列車に乗って行くんです。小さな川に通っているうちにまぐれでも釣れることがある。その喜びを感じ、同じ場所に通ううちに、川に四季が巡っていることに気づきはじめたんですね。
 最初のうちは、「釣れなくても楽しい」というのは確かに負け惜しみでした。でも、たとえ釣れなくても、楽しみはそれ以前にあるということがわかってきたんです。イギリスに『釣魚大全』という本があるんですが、その最後はこんな風に書かれています。「そして、釣り人は知るであろう。釣りをしていない時こそが釣りであることを」
 結局、そうなんですよ。家で毛ばりを巻いているときから釣りは始まっていて、たとえ釣れなくても充分に楽しんでいるんですね。(→佐竹シェフが“順応”を体得した釣りの物語)
 逆に、こうも言えます。ある湖に世界最大のニジマスが棲んでいる。でも、それがもし釣れたら、釣れた時点で楽しみは終わるんです。
 こうして“順応”を会得していったときに、「ヂーノ」に畑さんご自身が来店されたわけです。最初は、お食事に来てくださったお客様に声をかけるのは失礼だと思い、じっと我慢していました。でも、2度目に来店されたときに、どうしても堪えられずに畑さんにお声をおかけしたんです。「僕は先生のご本を拝読して、自然との距離の取り方を教わりました。近づきすぎれば、自分がダメージを受けるし、離れていては楽しくない。先生のお陰で、ちょうどよいスタンスを知りました。ありがとうございました。こういう人間が、六本木の店でコックをやっていることだけ、知っておいていただけたらうれしいです」と。>>次のページ