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■第三章 100年のスパンで都市をデザインする。
編集部:
持続可能な都市の発展のプロセスを先生はどのようにお考えになられていますか? 人類の歴史を振り返ると、古代文明時代から専制君主などの絶対的な権力者によるまちづくりの時代を経て、産業革命後の市民力が高まり。19世紀末ごろから一般生活者が快適な暮らしを享受できる都市という概念が急速に形成されていったように思います。工学部・環境建設のお立場からちょっと伺えますか?


藤田:
実は、私はこれまでいろいろなことを専門としてきました。大学の学部では水処理の分野を学びました。その後、建設会社で10年ほど勤務しました。その時期は都市開発の実務を経験し、その間にアメリカのペンシルバニア大学で都市開発をテーマに留学して都市計画の修士号を取得しました。
私の30代はそんな訳で都市計画という分野にエネルギーを注ぎこんでいました。その後大阪大学へ移り、10年ほど経て現職になりました。

大学の研究者として一貫して取り組んでいたのが都市環境システムとか環境評価という分野です。
つまり、都市という時空間の中でいかに環境改善を実現させるかが、私のテーマでもあります。

私の大学の初回の講義で学生たちに必ず示していることがあります。1900年代から2000年にかけてのCO2の排出量の変化グラフの提示です。

燃料別に見る世界の二酸化炭素排出量
(出所:オークリッジ国立研究所)

ご承知のように都市というものは、数千年前の古代社会に起源があり、その後中世の専制君主の時代にも存在しました。が、現在私たちが目にしているような都市が形成され始めたのは、日本では実はこの100年程度です。このきっかけとなったのが産業革命です。これによって私たちは莫大なエネルギーを手に入れることができるようになったわけです。それによって生産量も爆発的に増えて、一般生活のレベルを一挙に改善し、移動の自由、情報・通信の自由がもたらされたのです。ですから、この産業革命がもたらしたパワーを具現化したものが現在の都市の姿だと私は捉えています。

では、日本に現在のような都市計画の方法が持ち込まれたのはいつごろか?と言えば1970年代からで、まだまだ最近のことです。これは、アメリカでの都市計画の経緯を見ると、20世紀始めにさかのぼります。この時期にアメリカでは土地利用を規制する法律が整備され始めました。さらに、そこから都市を計画し構築するという概念や仕組みが発展・整備されてきたのです。

産業革命の以前はほとんどの都市での計画は王様などの絶対権力者がトップダウンで『こうだ』と言えば最終決定で、その“かたち”が妥当か否か、すら、問われることなく都市が形成されてきた経緯があります。それがある段階から市民社会を意識した景観やデザインという概念が都市建築に付加されてきます。そこでも、現代の都市計画にあるような都市の機能を高める計画という考えは希薄だったといえるかもしれません。富を作る生産機能、また生活の利便性などに考慮して、効率のよい快適な市民生活を実現するためにインフラを整備し、市民の負荷を軽減する都市利用を規制する法律ができてきたのは20世紀になってからです。

ですから、日本での産業革命後100年という時代を経て今ここで、私たちが原点から見直すべきことは“この次”の段階を見つめる視線ではないかと思うのです。
現在ある社会の枠組に組み込まれた【都市計画】や【環境政策】から一歩踏み出して“次の革命”に向わなければならないと思っているのです。
加藤三郎先生の言葉を引用させていただければ、まさに《環境産業革命》です。先生とはパートナーとして研究をご一緒したり、川崎エコタウン事業にも特別参与として参加していただいておりますが、事ある毎に、この《環境・産業革命》という表現を使われ、現状からの抜本的な刷新を提唱されています。
(*加藤三郎氏 環境省OBとして、示唆に富んだ環境提言や環境政策等で、活躍。現在、NPO法人環境文明21を主宰)

ご承知のように、現在日本のエネルギー政策は新たな局面を迎えています。私たちの都市というのは化石燃料によるエネルギーを膨大に消費すること前提にして、ライフスタイルも都市構造も作られてきました。しかし、ここにきて、エネルギー側からの制約を受けることになったのです。化石燃料の利用から来る様々な制約の中で、もっとも問題になっているのがCO2の増加です。これにストップをかけなければならないのです。これまでの環境対策は、“汚染された場所から避難する”ことや“汚染物質を希釈する”対策、さらに末端での処理技術“End of Pipe”という発想でした。確かに1970年以降、公害問題に対処すべく処理技術も飛躍的に向上しました。でも、CO2についてはそれでは解決が期待できません。“汚染したものは遠くに捨てる”ことや“住みにくくなったのでニュータウンをつくる”等々の対策ではなくて、これは地球全体で解決する大きなシナリオを描きつつその対策を考えて実践していくしかないのです。

編集部:
ゴミも世界共通の問題ですね。

藤田: 
そうです。一部の日本で集められた廃プラスティックが中国に売られている事実が報道されていますが、これは分別にかかる人件費の両国間の差があまり大きいために成立している現時点でのいわば緊急避難的処理法のひとつであり、今後も続くものではないと見ても良いのではないでしょうか。
本来はゴミ処理については、可能な限り効率よい地域内での循環を優先して解決するべきだと考えています。

編集部:
《環境産業革命》が目指すべき方向は先生としてはどのように考えていらっしゃるかを伺えますか?

藤田:
研究者的に言えば、現状への都市や暮らしへの制約条件である“式”が変化したわけですから、当然“解”が違うわけです。現在の都市や社会のシステムは、温暖化などの環境問題という「式」がはっきりとする前につくられた「解」となるわけですから、“新しい解”に向って都市を変えて行かなければならないのです。今回の革命は環境側から起こった“革命”であると考えに共感することはここにあります。“市民の意識を高め、ゴミを減らし、節電をしましょう”とかのレベルだけではすべての環境問題を解決することはできません。もちろんこうした高い市民意識は社会にとって大切ですが、抜本的な効果を引き出すには、産業の仕組みそのものを変えてしまうことです。
 具体的には
(1)地域内の企業の連携を徹底し、廃棄物やCO2の削減にむけて、循環を基本テーマにする産業共生のコンビナートを形成する。
(2)企業の技術開発のプロセスに同様の価値観を導入して、新たな環境技術と循環を可能にする仕組みの開発を進める。
(3)都市と産業が共生することを実現するために都市計画の枠組みも再構築する。

しかし、残念ながら、これまでは都市という空間を計画する際に、積極的に都市と産業(生産システム&物流のシステム)を連携する仕組みが注目されてきませんでした。そのため生活と産業はまったく切り離された一方で、70年代以降から成長期大都市からは工場がどんどん消えて、地方に移転しました。80年代に入るとそうした工場が人件費等のコスト軽減のためにさらに海外に移転することとなりました。日本国内の産業の空洞化が進み、結果的にはコストの高い輸送費を支払い、同時に大量のCO2を排出するという構造が生み出されてきました。

しかし近年になり、企業の生産ラインが循環型構造へと改良され、エネルギーを都市から排出される廃棄物等を代替できることが分かってきたのです。ただ、現時点では都市内でのそうした連携プランが成立していないため、具現化まではまだまだ、多くのハードルを越えねばならないことが予想されます。
ただ、《環境産業革命》についておおよその“式”と“解”のかたちは得ましたが、私たちはまだ、どんな都市を構築すべきなのかについては回答を出せる段階ではありません。制度や法律といった枠組みづくりを具体化するにはさらにいろいろな条件を考慮する必要があります。

編集部:
《環境産業革命》が実現し、都市と産業との新たな連携が実現すると、どんなメリットがあるのでしょうか?

藤田:
実は、循環型の社会を形成できれば、さまざまなレベルでの負荷が軽減され、新しいタイプの都市が誕生するという提言は今までもありました。科学的な検証はされてきませんでした。
環境分野では先進的なヨーロッパでも15年ほど前から提唱されていましたが、実際的な評価はできていません。これを私たちは川崎で検証していこうとしているのです。実際に検証したデータを積み上げることは、必ずや“客観的な評価”への基準の第一歩になるはずです。集積されたデータが行政や企業、市民の皆さんに公開し、“未来の都市づくり”はどのようにあるべきかを一緒に考えていただこうと考えているのです。もし、仮にこの“川崎モデル”としての環境評価基準が構築できたら、このプランを日本全国で同様の問題解決に直面している都市の方々に共有していただけますし、近い将来には、劇的な発展を遂げる中国等の近隣諸国の方々にも、“川崎モデル”を役立てていただけると確信しています。

さらに、日本の未来を具体的にどのようにすべきかを論議されているような立法の場へデータをフィードバックすることも可能です。ですから、日本全国との連携のみならず、東洋大学としても既に研究協定を結び共同でシンポジウムを開催するようになった大連理工大学とも積極的に交流を深め、中国の産業・環境の共生にも寄与したいと思っているのです。

編集部:
地球規模というセンスがないと“環境”という問題、特にCO2削減は解決できませんね。空気は国境を軽々と越えてしまいますし。


藤田:
100年前には、産業化されたエリアは地球上のほんの一部に過ぎなかったわけです。しかしそれが現在ではほぼ世界中に拡大して、いたるところから大量にCO2を排出しているようになったのが21世紀の地球の現状です。今までのパラダイムの延長ではない環境問題に私たちは今、直面している訳です。だからこそ、過去の延長ではなく、新しい物差しで社会のスキームを科学的に提案すべき段階に来ていると言えるでしょう。

今こそ、先進性のあるこの“川崎モデル”を国内外に発信することで、新しい世紀の都市デザインの産業と環境の共生を提案したいと取り組んでいます。
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[編集部より]
CO2問題は各界の多くの有識者が注目するテーマです。
ecopeopleのバックナンバーをご参考までに紹介いたします。 
笠木伸英(エネルギー・イノベーション)
清水和夫(ディーゼルこそが地球を救う)

▼PAGE1/“End of Pipe”(=末端処理技術)から循環型へ
▼PAGE2/今、川崎で起こっていること    
▼PAGE3/100年のスパンで都市をデザインする。
▼PAGE4/価値を生み続ける都市