~地球の声に耳を傾ける~
エコピープル

2021年夏号 Ecopeople 88JFE スチール株式会社 
知多製造所
小原史彦さん ( 総務部長 ) インタビュー

「人に恵まれた運」に授かった、
今後も持続させていきたい取り組み

取材 : 太田菜穂子・文:久保田梓美

編集部
JFEスチール知多製造所は半田市・武豊町にあり、石油・ガスの掘削用のパイプや自動車の部材に使われる鋼管を主に製造・加工しています。構内で約2800名の方々が働く、規模の大きな工場ですね。

小原
はい。視覚的にもJR東成岩駅の目の前に正門があり、広い工場だと感じられるかもしれません。緑も見えますが、ここにほたるが飛んでいるとは思われないかもしれませんね。
編集部
土本修二さんの育てたほたるを敷地内の小川に放流し、「ほたるの夕べ」として最初は社員の皆さんに、そして地域の方々に見ていただくようになったのは2014年からとお伺いしています。「ほたるの住めるクリーンな製造所」をスローガンに、どのように環境を整備されてきたのでしょうか。

小原
創業70周年記念事業として井戸水を汲み上げ小川を整備し、約7000㎡の広さを持つ環境池を作り、その後、周辺の竹林を整備してと、景観を整えてきました。「ほたるの夕べ」開催時は竹林の沿道に手作りの竹灯籠が並び、幻想的にライトアップされています。知多製造所のOBが中心となり、地域の方に声をかけていただいて製作されたものです。毎年レベルアップしていて、今年は、竹灯篭に「コロナに負けるな」と彫ってくださったりとユーモアたっぷりで楽しませてくれました。

編集部
一般公開も拡大してゆき、「ほたるの夕べ」のイベントは、2018年以降、2日間で約3000人が訪れるまでになったそうですね。どんな風に広がって行ったのですか。

小原
ホームページと、近隣の自治会には回覧板やポスター配布などで周知活動を行ってきましたが、クチコミも大きいと思います。土本さんがあれだけ一生懸命ほたるを育ててくださって、たくさん放流できたおかげで、本当にきれいな光ですからね。訪れた人が「良かったよ」と誘い合わせてくださり、多くの方々が来てくださるようになりました。また、知多製造所は創業以来、地元の方からの雇用を継続し、また他の土地から来た方も、ここで家族を持って地域に根ざして働かれてきました。その積み重ねもあるのだろうと思います。
編集部
なるほど、ここで働く人々に信頼があり、この先も続けられるだろう、とみんなが安心して関われるという土台があったのですね。コロナの影響で「ほたるの夕べ」は中止になりましたが、保育園児が環境池にほたるを放流し、土本さんが育てた成虫を家に持ち帰って楽しむ行事が開催されたと聞きます。このような形で、重厚長大なものを作る製造所に子どもや高齢者が親近感を持てるというのはとても珍しいですね。

小原
そうですね。特に小学校入る前のお子さんとの触れ合いがあるというのは知多独自の取り組みではないかと自負しております。また、昔この辺でほたるが自然に飛んでいたことを知る高齢者の方々に、ほたるに再び親しんでいただけるようにもなりました。

編集部
2020年より、半田市と半田農業高校との共同事業として、高校生が、エキスパートである土本さんからほたる育成を継承する取り組みも始まりました。10年弱の短い間に、ほたるが増え、賛同者も増えて、世代間ギャップを解消する場にまでなっている。JFEスチール知多製造所のほたるの取り組みが、こうした発展を遂げた理由はどこにおありだと思いますか。

小原
運と言ってしまうと誤解があるかもしれませんが、「人に恵まれた運」。土本さんがこの土地にいらしたおかげというのが本当に大きかったです。さらに半田市の担当の方、あるいは半田農業高校の先生方など、皆さんが熱意を持って、いい取り組みだと言ってくださったこと。それがあって発展してきているのだと思います。
それともうひとつ。ほたるそのものの魅力もあるでしょう。ほたるというのは日本にずっと自生していた昆虫で、何かしら郷愁を誘うような光を放つ虫ですね。ほたるという存在と、それを取り巻く人の熱意があいまって、こうした活動の継続、発展につながっているのかなと思います。
編集部
なるほど。いわゆる産・官・学の連携と聞くと、肩に力が入ったものが多い中で、関わっている方々が皆、ここまで穏やかに、楽しげに取り組まれていることを貴重に感じます。コロナの影響もあり難しい状況ですが、来年以降も、環境を核にした地域貢献活動は継続されていくのでしょうか。

小原
はい、この活動はこれからも継続していきたいと思っております。これからも地域とともに歩めるような活動にできるよう知恵を絞っていきます。来年は、できることならたくさんの方々に再び、実際にご覧になっていただいて、感じていただけたらと思います。

コラム

①半田農業高校「ほたるプロジェクト」をスタート

知多半島はその温暖な気候を生かし、全国的にも高い評価を得る農産物の産地としても知られています。今や高級料亭やレストランでも引っ張りだことなった直径3〜4センチの小さなタマネギ、ペコロス始め、フキ、タマネギ、キャベツ、レタス、ナスなどを中京地区に出荷。さらに畜産ではブランド牛の知多牛を開発するなど、先進的なビジョンで進化する農畜産業に、近年、熱い注目が集まっています。
さて、明治32年に知多郡簡易農学校として開校した愛知県立半田農業高校では、現在は農業科学科、施設園芸科、食品科学科、生活科学科の4科、547名の生徒が学んでいます。校内で定期的に開催される農作物即売会に近隣の人々が日常的に買い物に訪れるなど、学校行事を通じて地域に密着。また、醸造文化が盛んな半田市ならではで、味噌や醤油を製造・販売。愛知県農業総合試験場と共に、名古屋コーチンの雛の育成を通じた継承保存プロジェクトを推進。さらに、中埜酒造株式会社・半田市商店街と、オリジナル日本酒「夢坂」の商品開発を行うなど、地域と連携した産官学協同事業も活発に行ってきました。この伝統ある農業高校を舞台とし、2020年から「ほたるプロジェクト」が半田市役所のコーディネートでスタートしました。指導に当たるのは、もちろん土本修二さんご本人。3年生を中心にした男女2名ずつのチームに安藤俊介教諭が加わり、より自然な状態でのほたるの生育を目指しています。目標は「校内で育てたほたるが飛ぶ姿を見ること」。4人の生徒は皆、幼い頃にほたるを見た記憶はないといいますが、虫を捕まえたり、育てることは大得意。それぞれがほたるに興味を持って、自ら手を挙げたとのこと。この6月には、土本さんのほたる育成池から約1万個の卵が提供され、本格的な研究と生育に取り組みます。80歳の土本さんから、17歳の高校生たちへ。ほたるのいたかつての風景を忘れ去る前に、再びほたるが飛ぶ将来に向けて。知と技術の継承がはじまっています。

「はじめから上手く行くとは思っていません。
 失敗しながら、そこから大切な何かを学び、 夏の宵、自分たちの郷土に美しいホタルの光が舞う日が やってくることを信じて、生徒たちには頑張って欲しいと願っています。」

 愛知県立半田農業高等学校長
 天野 淳(あまの あつし)

②市民の活動をしっかり支える行政の眼差し半田市役所

土本修二さんは、半田市に住んで新美南吉の詩に出会い、ほたる舞う故郷の風景を思い出しました。そして 知多半島のほぼ中央に位置する半田市の人口は約12万人。愛知県内では6番目に市制を施行し、1958年には「原水爆実験禁止並びに核兵器持ち込み反対核非武装宣言」を市議会が採択、日本で初めて核非武装を宣言した市としても知られています。江戸時代には醸造業を中心に港湾都市として発達したこのエリアは、第二次世界大戦後は自動車関連、鉄鋼業の企業が進出し、製造業の拠点として新たなフェーズへと踏み出します。さらに2005年には隣接する常滑市に中部国際空港、セントレアが開港するなど、愛知県内でも活気のある発展と独自の市政運営で目が離せない市でもあります。
絶えず進化すると共に、「健康で明るく豊かなまち」づくりを目指す半田市は、ひとりでほたるの育成を始めた土本さん、そのほたるの光が次世代である半田市の子どもたちが心待ちにするものへと発展する過程も見逃しませんでした。2013年、市は土本さんの考えに共感し、新美南吉記念館敷地内でほたるが生育できる環境づくりの場を提供。2015年からは、JFEスチール知多製造所内での幼虫放流イベントの地元保育園・幼稚園の招待に際して、園との調整や市所有のバス送迎など思いに寄り添う形でサポート。さらに継続的な発展に向かって、土本さんのほたる育成技術を半田農業高校の学生が継承する取組も市が橋渡しをしました。

「老若男女問わずそれぞれにテーマを持ち、みんなで集い、共に生きる。
 自然と人間が調和し、『美しい共生社会』を作り上げたいと考えています。
 コロナ感染の厳しい状況下ではありますが、できるところで臨機応変に対応したいと思います」

半田市 市民経済部環境課・課長
門田和博
MONTA Kazuhiro

「ほたるというシンボリックな存在を通じて、地域の皆さんが環境という視点で関わり合えるのは素晴らしいことです。
 行政は今後もその下支えをできる限りしていきたいと思っています」

  半田市企画部市民協働課
 市民交流センター
鳥居ひとみ
TORII Hitomi

個人それぞれの願いが、大きなうねりとなって、半田市を住む人に魅力的な”場所”へと変貌させてゆくことでしょう。