越後松代棚田群 星峠の棚田|
大小、約200枚の水田があたかも魚の鱗のように斜面に広がり、季節によってさまざまな表情を見せる。
ベンクス|
1970年代後半、日本の古民家の美しさにすっかり魅せられた私は、当初の来日の目的だった武道家から、建築家・インテリアデザイナーへの道を選び、海外で日本の伝統建築を広く紹介したいと考え、日本を離れることを決めました。
向かった先はドイツで、日本人のコミュニティーが定着していたデュッセルドルフ。ここではインテリアだけでなく、日本家屋をそのまま移築するような大きなプロジェクトにも携わりました。
編集部|
しばらくは日本とドイツの二拠点生活をされたのですね。
ベンクス|
本物の日本家屋を解体し、ドイツに移築するにはコストもかかりますが、当時の為替レートはドイツにとって有利な状況だったので、実現できました。
そんなある日、日本で古民家を探していた私に決定的な転期となる出来事が起きたのです。
編集部|
竹所の古民家との出会いですね。
ベンクス|
私が即座に購入を決めた新潟県竹所集落の古民家は、明治時代に建てられた茅葺の廃屋です。かつては38軒を数える山間の集落でしたが、私が訪ねた1993年は9軒の家に高齢者が細々と暮らす、文字通りの限界集落でした。
ただ、大きな木々を背景に広がる棚田や気持ちのいい風が吹き抜ける竹所の佇まいに、一目で魅了されました。ここで歳をとりたい…と心から思いました。
購入当時の古民家は倒れそうな外観でしたが、豪雪地帯ならではの柱や梁などの骨組みは実に頑丈で、十分使えるものでした。丁寧に解体し、柱や梁を組み直し、壁には断熱材を仕込み、21世紀にふさわしい快適な住空間に再生しました。当時の私はドイツと日本の両国での仕事を抱えていたこともあり、完成まで2年の歳月を要しました。が、心から満足できる“我が家”として再生させることができたと自負しています。
現在、竹所では13軒目の古民家を再生中なのですが、再生された古民家に子ども連れのご家族や、若い世代が移住され、この地で赤ちゃんも生まれ、住人の平均年齢は70代から40代へと一挙に30歳も若返りました。
水田の脇に咲く菖蒲。越後の水田、家屋の周辺には
季節を彩る花々が植えられている。
土地に寄せる住民たちの深い愛情が伝わる風景に心が和む。
編集部|
利便性と効率ばかりが論じられる現在、ベンクスさんと奥様のクリスティーナさんのたった二人で始められた古民家での暮らしが注目され、次第に話題となり、若い世代の移住にまでつながった。その理由は何だと分析されていますか?
ベンクス|
さまざまな理由があると思います。近年の異常なまでの気象変動をはじめ、環境意識の高まり、都会で顕在化しつつあるコミュニティーの崩壊による不信や不安、そして「生きることそのもの」への価値観の変化が挙げられると思います。
まず、天然素材である木材や厳選された良質な素材を使用した、丁寧な建築手法で建設された家屋であること。近年、問題になっている合板に含まれる化学成分によるハウスシックのような健康被害は起こりにくいのです。
次に、同じ美意識や考え方を持つ人々が移り住んでくることで、コミュニティーの治安も美観もルールも保たれます。そして、三つ目は住宅そのものへの認識の変化です。
日本では土地は評価をしますが、その上に建つ上物(建物)への査定基準は非常に曖昧で、ほとんど評価の対象とはなりません。
「住まいとは、家族の歴史を刻む世代を越えて受け継がれる価値ある財産である」と、私は考えています。自分の代のみならず、次世代のことを考えて家を建てることは、家族の絆であるアイデンティティーを強め、目にみえる精神的な支柱になると思います。
そして、そのことがエリアとして広まると、土地の評価をも押し上げます。
私は自宅である『双鶴庵』で、クリスティーナと共に30年暮らしてきました。全く飽きることなく、毎日、室内を、そして窓からの景色を眺めるだけで楽しく、幸せな気持ちになります。竹所での日々は、私にとってまさに理想郷での暮らしです。
クリスティーナにとっては箪笥階段の傾斜は危ないので、これは近々手を入れようと思っていますが。
家とは、住人の年齢や家族構成の変化に対応させ、時代に合った快適なスタイルに改良し、長く住み続ける場所です。愛情を持って“我が家”に接することで、いつしか有形・無形の価値を生む、“人生の舞台”なのです。
松代では、「大地の芸術祭」と連動した田植えイベントが開催されている。
編集部|
最後に、自然環境と景観の保全について、お考えを伺わせてください。
ベンクス|
私は今、竹所集落と、松代の「ほくほく通り」の再生にも取り組んでいます。家は「人が住むこと」で、生き生きと“呼吸する空間”になります。
かつて宿場町として栄えた松代でも、店舗兼住宅として再生をしているのですが、是非ともここに住んで欲しいのです。雪国なので、壁には断熱材をしっかり仕込み、同じく断熱効果の高い(木製サッシの)大きな窓に仕上げています。
自然を感じながらも快適な暮らしができる構造での松代の民家再生プロジェクトでは、一軒の住宅の内外、通りや周辺の景色との調和などなど、緻密に考え、丁寧に実行していくことがポイントです。それには、関わる個々人がその認識をしっかり持って、当事者として振る舞うことがとても大切なのです。
それぞれが近隣の住人を思いやり、丁寧に暮らす日々に「生きる価値」を見出すことが、真の意味での古民家再生を一歩前に進めるエンジンになります。
「古いから良いではなく、古く、良いから大切に扱い、それを未来へ繋いでいく」。そんな里づくり、街づくりを素晴らしい技術を持つ大工さん、職人さんと共に進め、日本が継承してきた仕事の質、職人気質を未来にしっかり手渡していきたいと思っています。
松代のメインストリート「松代ほくほく通り」
かつて宿場町として栄えた県道1キロメートルでは
ベンクスさんが主導する古民家再生の取り組みが
進行している。