エコピープル|レポート11:総合環境企業ミヤマ株式会社社長南 栄嗣さん

Eiji Minami
1928年12月8日 東京に生まれる。射手座。技術者として入社した大阪の酒造メーカーで、合併した長野県の酒造会社の建て直しを任され、見事に成就。1975年に、当時問題になっていた廃棄物に着目して独立。廃水処理プラント、ボイラー設備、特殊焼却炉などの販売、産業廃棄物処理に関する業務を行う会社、ミヤマ商事を設立する(78年ミヤマ株式会社に社名変更)。産業廃棄物中間処理を目的とした工場を次々と新規設立し、業界2位の会社に成長。総合環境企業ミヤマ株式会社社長として、21世紀の環境技術=クリーンプロダクツを担う人。毎日午前2時に起きて、あらゆる情報を収集し、社員への伝達事項をまとめる。身長176cm、堂々とした存在感とユーモラスな会話で、南社長の周りの空気は実に伸びやかだ。


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12月初旬。冬を迎えた長野の空は冴え冴えと青い。
冷たく澄んだ空気に気持ちが引き締まります。
今回お訪ねしたのは、産業廃棄物中間処理と環境対策のコンサルティングなどを行い、総合環境企業として日本の静脈産業を担う会社・ミヤマ株式会社社長、南栄嗣氏。会社は長野駅から車で10分ほどのところに位置します。社長室のドアが開くと、数日前に発表された新商品、エコドライブナビゲーションシステム(→ページ末参照)に関する連日の取材でお疲れのはずの南社長が、3時間足らずの睡眠にも関わらず、編集部を朗らかな笑顔で迎えてくださいました。

――社長、今日午前中に御社の工場を見学させていただきました。

どうでしたか?

――すばらしい工場だと思いました。廃棄物処理の工程をあれほど明瞭に見せていただけるとは驚きです。すみずみまで目線が行き届き、清潔で、機能的に作業されているのがわかりました

では、南社長のお話の前に、見学させていただいた中野工場についてお知らせしましょう。

中野工場は1990年にオープン。千曲川を見下ろす小高い丘の上にあります。各種産業廃棄物をはじめ、化学的・物理的処理を要する対象物について、焼却・破砕・油水分離などのさまざまな技術で、一貫した処理を行っています。有機物質の回収・再生・再利用を実現する資源循環型プラントです。
工場内部は実に衛生的で、作業工程は工場長が見せてくださったフローチャート通りに進みます。(図をクリックすると拡大)



【リポート1】
編集部の先入観が覆されたのは、処理では焼却の段階が一番重要なのではない、ということ。もっとも重要なのは前段階の「調整」なのです。集められた廃棄物は形も、成分も、カロリーも異なります。それらを分析し、成分が均一になるように調整を施すことで、焼却炉の中で安定して燃やすことができるようになるのです。また、成分の内容を仕分けすることによって、有効利用できる物質をより多く抽出することもできます。
ただ、廃棄物の状態がさまざまに異なる昨今、「調整」には高い能力が要求されます。長年のデータの蓄積と、設備の機能が力を発揮するわけです。ミヤマ株式会社(以下ミヤマ)には、廃棄物の成分を分析する担当者が多く、前段階の「調査」に非常に力点を置いていることがわかります。分析業務に携わる方は、全社員660名の約1 割に当たるのだそう。他社と比べてもこの比率は非常に高いです。

【リポート2】
中野工場では、通常の業務のほかに、長野県などからの要請に応じてフロン類の破壊処理をしています。フロン類の多くは、生産・供給が停止されていますが、冷却・冷房・洗浄をはじめとしてさまざまな分野で使用されてきたため、それらの機器を廃棄する際には必ず、フロンを回収・処理しなければならないのです(FILE09参照)。ミヤマでは、独自の燃焼技術によって、いち早く安全な処理を実現し、受け入れ態勢を確立しました。フロンの破壊処理ができるのは全国でも30社ほどしかありません。


ここで、編集部から是非聞いていただきたいことがあります!!

中野工場の周辺には、産業廃棄物を処理する別の会社が立地しています。工場が隣接していることから、マスコミは「産廃銀座」などと名づけて一帯を同一に報じているようです。でも、周辺の工場の敷地にうずたかく放置された廃棄物を目の当たりにすると、中野工場の清潔さとのあまりの違いに愕然とします。そして、そのような状態の会社と同一視されることに編集部は少なからぬ憤りを覚えてしまいました。このことを是非、知っていただきたい、と思うのです。


【リポート3】
中野工場をご案内くださった、清水利一工場長は穏かな語り口の紳士です。中野工場では毎年、廃油を分類するドラム缶の上に小鳥が巣をつくり、工場長は雛が飛び立つまで優しく見守ってあげるのだとか。なんともほのぼのとしたエピソードです。取材を終え、車に乗り込んだ編集部をずっと見送ってくださった工場長の姿が印象的でした。>>次のページ