編集部|
江戸幕府の産業奨励の作物として「四木三草」(*)が、全国で作物の増産が活発化したことは広く知られています。
能登には漆器の材料となる植物ウルシは元々自生していたのでしょうか?
また、器の土台となる木材は豊富だったのですか?
*「四木」とは桑、茶、楮、漆の樹。「三草」とは、麻、藍、紅花(または綿)を指す。
箱瀬|
まず漆の木は、今や日本にすっかり根付いた感がある樹木ですが、元々は中国から伝わってきた外来種で、日本の気候にはあまり適していないので、人が適切に手入れをし、丁寧に樹液を採取する栽培が必要な植物です。
一方、漆器の土台「木地(きじ)」として適材となるケヤキやアスナロについては、古来よりこの地にとても豊富にありました。とりわけ石川県の県木であり、輪島ではアテと呼ばれるアスナロは、輪島漆器にとっては大切な木地材なのですが、輪島と近隣の穴水で産出します。
編集部|
先ほど名前が出た、塗師屋という製作工程を統括する人がいたということは、輪島塗にはかなり複雑な工程段階が求められるのだと想像しますが、完成までにはどのようなステップがあるのでしょうか?
箱瀬|
工程の数え方はいろいろありますが、輪島塗の製作過程を細かく分けると軽く100を超えるプロセスがあります。よって、それぞれの段階のクオリティーを堅持し、かつ効率を上げるために、輪島では古くから分業制が採用されていました。
まず、土台となる木地づくり。原木を2、3年は地面に寝かせ、外皮が剥がれ落ちて幹の部分になって、やっと作業に着手できます。ここはお椀づくりでお話ししますが、「型はつり」。原木をナタなどの刃物を使ってお椀の形にして燻製乾燥、その後1年は倉庫で自然乾燥させ、轆轤(ろくろ)を使って「荒挽き」をし、さらに乾燥。そして最後に轆轤とカンナを使って薄手に仕上げる「木地挽き」の作業があります。
木地づくりは、椀物の他に、お膳や重箱や硯箱のような「指物」、お盆やお弁当箱のような「曲げ物」など、それぞれ専門の木地師の手によって仕上げられます。
次に下地塗り。これも細かな作業の積み重ねです。
木地の補強を小刀で彫る「切彫り(きりぼり)」、生漆などで傷を補修する「刻苧(こくそ)」、これにカンナを使って平らにする「刻苧落とし」、その上にヘラで生漆を塗る「木地固め」、角を鮫皮とサンドペーパーで磨く「木地磨き」、さらに「布着せ」、「着せ物削り」を経て「惣身(そうみ)地付け」が終わったところで、木地を乾燥させ、荒い砥石で磨く「惣身磨き」の工程という段取りです。
そして、やっと「地塗り」の作業に入り、3回にわたって塗りと研ぎを繰り返し、三辺地塗りが完了した後、輪島では“荒砥石”で磨く地研ぎ経て、ようやく下地塗りが完了となります。
編集部|
原木の伐採から地面での寝かせの期間、さらに木地の乾燥、下塗り完了までで、すでに軽く4年の歳月が流れることになりますね。
箱瀬|
この先に「中塗り」から「小中塗り」、「小中研ぎ」、「拭き上げ」の仕上げを経て、最後の蒔絵や沈金などの「加飾」の作業となります。
ひとつの漆器が完成するには、各工程を司る多くの熟練工たちの、緻密で丁寧な技と想いが結集しなければ不可能です。堅牢にして、軽く、美しい輪島塗はまさに多くの職人たちのブレのない高い技術の連携で完成するのです。