私たちの瀬戸内/上嶋英機

瀬戸内に注がれるひとつの眼差し/後編
日本における海洋





35年にわたり瀬戸内海と共に生きてきた私が言うのもちょっと残念なのですが、日本においては“海洋”という世界が滅んでいるような印象を禁じえません。
日本は35,000キロメートルの海岸線を持っているまさに“海の国”であるにも拘わらず、現実には多くの国民が“海を意識しない”、世界でも珍しい国のように思います。

まず、日本には海洋を統括する“公”における専門セクションがありません。以前はまだ、経済産業省の資源エネルギー庁内に鉱物資源課・海洋開発室というのがあったのですが、平成13年に廃止されました。ですから、現在しばしば話題に上る東シナ海の海底油田についても、この問題を直接管轄する公的なセクションがないのです。

この背景には、いまやエネルギー自給率6%の国となり、既に自国でエネルギーや資源を開発し、管理していこうとするという発想も気概も無く、海外から輸入すれば“ことは済む”というような空気が世の中にあるからかもしれません。でもこれは“わがままなお金持ち”の発想です。
高価なエネルギー価格に不感症になってしまった日本人が、自国の自然に対して無関心なのも、ある意味では納得のいく話かもしれません。

最近の子供は海に関心がありません。それは多分、親たちが子供たちに“海への想い”を伝えないから、そうした結果になってしまったのかもしれません。
“海が欲しいと思わない”“自分の海であるということが分からない”、そんな状況に現在は陥ってしまっています。島の領有に関わる問題にしても、長い間の多くの人々の犠牲によって、それぞれの島が日本の領土として帰属して来た経緯があります。それが海の歴史なんです。

実は日本の国立大学には“海洋全体”を考えるセクションがほとんどありません。水産大学と商船学校が考える“海”は限られた分野を対象とした海ですし、“海”を、海洋資源、鉱物資源、交通網、生態系などという包括的に捉え、“海洋環境”をトータルに見るコンセプトもないのです。 たとえば、私が大学で教えている『海洋環境倫理学』、倫理としての海洋学も重要ですが、この辺の共通認識も各学校によって異なります。




一方、世界の国々では、海を愛するしっかりした理念、概念を持っています。
それが法律に反映され、『POLICY 』として確立されているのです。
『POLICY』とは日本語では漠然としたイメージがつきまといますが、外国ではまさしく制度です。確かに日本でも分野別、つまり水産系、河川系、港湾系等ではありますが、一本化されたものはありません。

これは私自身も1999年に『海岸法』が改正した時に知ったのですが、日本の35,000キロメートルの海岸線で、ちゃんと目を配り、守られてきたエリアはそれまで14,000キロメートルしかなかった。それが、この改正を期に、一般管理区域としての14,000キロメートルが追加指定を受け、合計28,000キロメートルとなりました。

21世紀になり、日本もやっと“海へ視線を向ける”段階に入ってきましたが、では誰が実際に目を配っているかとなると、相変わらず不鮮明な状況なのです。

海洋に関する法律は世界中にたくさんあります。私は今までアメリカ的な海へのアプローチをしてきた人間ですが、最近はその考え方に距離を置き、別の角度から“海を見る”ということに取り組んでいます。
というのも、アメリカには『沿岸管理法』等の、大変素晴らしい法律がありますが、彼らは“海を守る”ため多くの法律が世界中にたくさんあることを知りません。そこで私は、アメリカ的な考え方に加えて、ヨーロッパ的な“海を守る”智恵を学ぶことで、両者の違いを検証し、そこから“日本の海を救う鍵”を模索しようと考えています。
海を守るルール、そしてそのメカニズム




“海を守る”制度の調査にヨーロッパへ行った時のことです。
「破壊されてしまった日本の海を修復する研究・調査をしている者です。ついては、諸々とご教示をいただきたい」と言ったところ、「君は一体何を言っているんだ。海を破壊しないようにするのが我々のポリシーだ。それに一旦破壊されてしまった自然環境を元通りに修復する技術なんて、世界中どこを探したってない!」と、先方の担当者からはっきり断言されました。
誰にでも分かる“自明の理”を改めて突きつけられ、私は衝撃を受けました。

確かにヨーロッパにも環境修復の技術はあります。が、それはダメージを受けてしまった海岸線を一定期間完全に放置するというものです。人の立ち入りを一切禁止し、海岸に生息する生物たちの力による自然本来の治癒力で、環境回復を促すというものです。

その後、一連の調査で国際研究交流を重ねてきた研究者を日本に招き、広島空港に迎えた時のことです。彼は空港から広島までのリムジンバスの窓から外を凝視した後、怪訝そう私にこう尋ねたのです。

「どうして松がかくもたくさん立ち枯れているんだ?」
「排気ガスか、松喰い虫の被害でしょう」と私は簡単に答えました。
新空港の開港当時は現在よりも松の被害はひどい状況で、立ち枯れてしまった樹木が爪楊枝のように延々と高速道路の沿線を並んでいるような状況でした。
「君はこれを見て、そういう風にしか思えないのか?これは明らかに異常事態だ。しかもこの異常事態を異常と認知できない君はまさに異常だ」とこっぴどく怒られました。

日本は豊かな国です。季候も温暖で生態系も豊かな、自然に大変恵まれた国です。日本人は、心のどこかで“木は枯れてもまた新しく生えてくるだろうし、汚れたものなど川に流せば、戻って来るようなことはないから大丈夫”というような安易な考えがあるようです。自然が勝手に再生することを当たり前のように受け止めているのです。

しかし、現実は違います。ある生物がコロニーを形成し、そのコロニーを数10パーセント失うようなことが起こったとします。徐々に進んだコロニーの減少がある段階を境に一挙に死滅へのスピードを上げ、気がついた時には壊滅的な状況に陥ってしまったという事例はいくつも報告されています。

30パーセントの減少だから、まだ半分あるから大丈夫というような論理は通用しないのです。10パーセント、20パーセントの減少は急を要する事態なのです。自然界の目に見える変化は、消滅への警鐘を受け止めるべきでしょう。中でも海草はその傾向が極めて如実な生物です。地中海に生息する海草のポセドニアは直径300メートルにも及ぶ大きなコロニー(群生)を形成する海草ですが、定期調査で10パーセント、20パーセントの減少していたのが、翌年の調査では、半分以上が死滅しているというようなケースことがたびたび報告されています。
自然界のバランス










*1【Agenda 21】
1992年、地球サミットで採択。21世紀に向けて、環境保全・開発の両側面から4分野(1.社会・経済面、2.資源開発の管理と保護、3.女性を始めとする各主体の役割とそのあり方、4.実行手段)にわたり、各国がまとめた40項目の行動計画。

バランスは生態系の維持において重要なテーマです。これは横浜国立大学の植物学者から聞いた話ですが、「何故雑草が強いかを検証すると、そこには競争の原理があるからだ」と言うのです。“共生”があるからこそ、それぞれが強い生命力を発揮する。だから同一種を意図的に隔離して植えると育ちが全く異なるとのことでした。ノイズを乗り除き、純粋なものだけを伸ばそうという考え方は、やはり自然界の摂理に反すると思います。ですから、人間が人類にとっての都合を優先した効率主義で自然に向かい合うと、さまざまな支障を生んでしまうのです。

戦後の混乱の中で育った私は、小学校のころは必要に迫られて、勉強よりも自然に親しむ時間が圧倒的に多かった。そのおかげで自然とどのように共生するかを学びました。今でも野に行けば、食用の植物を見分けることができますし、季節の花や果物がどのように実をつけるかを知っています。どの野生動物が食べられるかも分かります。これは、生物が自然界の中でどのように生きているかを知っているからです。現在、さまざまな調査や実験を経て私が痛感していることのひとつに、人間にとって雑音のように感じされる要素を自然界から一方的に排除することが、どれほど大きなダメージを自然に与えるか、ということがひしひしと理解出来ます。

この半世紀余り、日本人は食べるために働いてきた。そのために、豊かな日本の自然の恵みを貪り、犠牲にして発展してきました。これは数年前、大林監督とお目にかかった時に確認し合ったことですが、“もの”を手に入れるために私たちが自然を破壊してしまったことに対し、心から「ごめんなさい」と言っていこう。そして、自然の摂理を人間の勝手で壊すと、きっと神様の「バチが当たる」と伝えていこうと話し合いました。そして、一方で、未来を託す世代には“見失ってしまった心”を取り戻してもらおうと決めました。私たちは自分が犯した罪を認め、地球に謝罪する。でもこれからの若い世代には是非とも“心”を持って自然界と真正面から向かい合って欲しいと願っています。

そんな意味で、最近の環境関連の言葉として使われる【サステナブル=持続可能な】という表現に違和感を覚えます。資本主義的な匂いを色濃く感じるからです。生物の中には【サステナブル】という言葉はありません。では、誰が持続するんですか?自然は持続しない、時々刻々と変化しています。その変化する環境の中で、どう耐え、どう生き延びていこうかと日々悪戦苦戦しているのが生物たちです。【サステナブル】という言葉には、不遜にも人間が神に代わって、自然を制御しようとする意志が見え隠れしているように感じます。

自然は実にデリケートで、“許容範囲を超えた環境には適応しきれず、滅びてしまうものなんだ”という前提にすべきなのです。自然を制御し、継続することなど、物理学的にも不可能なことです。“もの”を消費すれば、エントロピー(=熱力学における状態関数)は絶対に増加するんです。ですから、少なくともある状態を継続させるには、消費量を減少し、同時に増やす努力をする方法しかありません。バランスのとれた状態を保つこと、これが唯一の対策です。

1992年の地球環境サミットで【環境アジェンダ*1】が発表された時、“資源のサステナブル”を謳いながら、同時に“生物の多様性”を並べたことは、その響きの良さから、多くの人々がこの問題の核心と向かい合うことへの妨げになったと思います。でも関係者なら誰でも既に察知していたはずです。これは明らかに矛盾する論理なのです。

環境への悪影響を及ぼす様々な要因、CO2にしてもダイオキシンにしても、最新技術によって量は減らすことはできたとしても、この地球は影響を受けることを私たちはしっかりと自覚しなければならないのではないでしょうか?
自然環境と向い合うには、まず自然の摂理や物事の本質をしっかり見据えることからスタートし、時間はかかってもじっくりとデータを取り、検証を続けるという地道な姿勢が何よりも大切です。
ヨーロッパとアジアの叡智に学べ





フランスの哲学には【水法】、【沿岸法】という考え方、自然と共に生きるという考え方があります。フランスの法律の基本は3分の1の自然は必ず残すという考え方が根底にあります。自給率200パーセントの豊かな食物生産と【人間の幸福感】を明確に定義した上で、多くの法律が制定されています。

フランスは豊かな自然を持つことで【農本主義】を今も継続している国なのかもしれません。【農本主義】とは、日本で言えば江戸時代の経済の状況を指す言葉ですが、貨幣は存在するものの、“農”を主体とした価値観の社会が成立していました。自然から糧を得ることで成立するライフスタイルですから、自然の変化には敏感になります。当然、大切な資源である生物との関係もより配慮に満ちたものになるのです。
でも資本主義の価値観が浸透しきった現在の日本では、自国の自然や資源をありがたく感謝するより、利潤を量る天秤の判断の方が重要になってしまった。

現在私は、大学で環境デザイン学ぶ学生たちにアジアとヨーロッパ、そしてアメリカが育んだ“自然と向き合う”3つの概念について講義をしています。

まず一つ目は、アジアの思想である【チプコ=CHIPKO】。
これはヒンズー語で“腕に抱く”という意味で、「女性が赤ちゃんを胸に抱くこと」が最も安心で優しさがあることを象徴した概念です。インドで実施された樹木保護政策のテーマとなった思想です。20世紀の半ば、輸出材を供給すべくインドでは多くの森や山が伐採されてしまった。この惨状を救うべくガンジー思想から制定された【チプコ政策】により、森林の樹木を15年間に及び一切切らせなかった。これによって、乱開発で多発していた災害も次第に回避され、自然そのものも回復へと向ったのです。この発想は現在、改めてヨーロッパ人が注目し、新たな角度からの東洋哲学として研究が進んでします。

二つ目はヨーロッパの思想である【BIOREGION】。
人間は相対的にしか物事を判断できないものです。これはスケールを規定した生態系をイメージしながら生きるライフスタイルとご理解いただければいいでしょう。つまり、地域独自の生態系を把握することで、生物世界を復興させようという考え方です。人間の都合だけで見るのではなく、周辺の自然と自分の暮らしがどれほど密接に繋がっているかを、地域の環境改善のスタートラインにするアプローチです。

つまり、“その地域の人々が飲料水としている水は何処の川の水か?”
“自分の捨てたゴミは何処に捨てられているか?”を自覚することで、自分を取り囲む自然知り、それを守ろうとする意識を高めさせるのです。
さらには、月の満ち引き、季節の変化、鳥類の渡り、季節の草花、食用と非食用の区別、湧き水の有無等々、自分の住んでいる場所の自然条件をしっかり自覚することで、その地に住むことへの喜びを実感しようという展開です。

そして三つ目は日本とアメリカで主流の環境へのアプローチ、ミチゲーション(MITIGATION)という考え方です。
これは私が専門としてきた分野なのですが、正直反省すべき点が多々あることも事実です。“ミチゲーション”を直訳すると“緩和する”とか“痛みを和らげる”という言葉から来ている用語で、開発によって破壊された環境をもう一度元の姿に戻そうという考え方です。これは【サステナブル】と繋がっていて、どこかに「壊してもいいよ」という考えが前提になっている方法論とも言えるかもしれません。







上嶋英機
Hideki UESHIMA

教授・工学博士 
広島工業大学 大学院環境学研究科 地域環境科学専攻
環境学部 環境デザイン学科
1944年、福井県敦賀市生まれ
1972年、通商産業省工業技術院中国工業技術試験所入所以来、
瀬戸内海大型水理模型を主体に、海洋環境及び海洋開発関係の研究に従事。
1997年徳島大学大学院工学研究科教授(併任),
2001年4月 独立行政法人 産業技術総合研究所に改組され
産官学連携コーディネータ・海洋資源環境研究部門 総括研究員。
2005年4月から広島工業大学環境学研究科教授に就任

これまで、瀬戸内海の利用と環境保全に関する研究を約33年間行い、瀬戸内海を初めと
する閉鎖性海域の環境修復・創造するためのミチゲーション技術の開発や、沿岸海域の利用や開発と環境とが共存できる設計を科学的に研究。特に、近年では、地球環境問題解決のための海洋環境産業の振興と、技術開発のための研究プロジェクト構築を推進している。
京都大学工学博士(海洋環境)。

広島で実施されているミチゲーションの実例『広島港五日市地区干潟』の干潟と、
浅瀬に集まる鳥たちを観察するために海辺に設置されたバード・ウォッチングの小屋。

【REDUCE】は軽減、【REPAIR】は修復、【COMPENSATE】は代替的修復、ここにはいずれも、かけがえのない自然を壊しておきながら、“別のもので埋め合わせをすればいい”という姿勢が根本にあります。
でも一旦破壊されてしまった自然は、時間軸で考えても取り返しのつかないダメージであり、自然環境は決して“前に存在した状況”には戻らないのです。
ただ、アメリカで実施されている【MITGATION】における厳格に制定された評価基準とペナルティー条項は注目に値します。

損なわれた自然の評価を厳しく行い、損失を低減し、その上で修復の代替案の実施をきちんと義務付けることで、そのプロセスが厳しく監視されるシステムが機能しているのです。ここでは【on site】(同じ場所)、かつ【in kind】(同じ種類)での実施を義務付けています。かつ徹底した実態監視体制下に、各段階におけるペナルティー条項を定義し、対応がもたらす効果が不十分との判断が下った場合は【off site】(別の土地)、【out kind】(別の種類)での対応も認め、事態の改善を徹底的に指導するシステムが設計されています。

この法律は1985年に制定され、1988年から実際に施行されています。
ジョージ・ブッシュ大統領下で制定された法律として、アメリカが生んだ21世紀の注目すべき環境保護政策のひとつでしょう。代表的例としてはワシントンDCのチェサピーク湾周辺の開発プロジェクトで、1988年、2000年の2期にわたり実施され、ミチゲーションプランはしっかり機能しています。

アメリカの素晴らしさは、この『環境アセスメント』に関するルールとペナリティーが遵守されていることでしょう。しかし、アメリカ型に属する日本の『環境アセスメント』には、残念ながら明確なペナリティー規定がないのです。ゆえに、ミチゲーションの理論がきちんと機能しないのです。

“山紫水明”という言葉で評された日本の自然、この美しい環境を未来へ引き渡すためにも世界の叡智を謙虚に学び、実践したいものです。(おわり)