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樹木医になるきっかけ

ここからは、塚本さんのこれまでの歩みとこれからのことを伺いましょう。

――塚本さんは、日本女性として初めて樹木医になられたわけですが、樹木医になろうと思われたきっかけを聞かせていただけますか?

 私は、期せずして女性の樹木医第1号となりました。だから、樹木医として紹介されることが多いですが、もともと私は造園家です。22歳で日本庭園を得意とする造園家と結婚し、主人の仕事を手伝いながら、造園の仕事を学んでいったんです。35歳のときに、主人とは別の会社をつくりました。主人は日本庭園を造っていましたから、それ以外の造園の仕事をしてみたいと思ったんです。と、いうのは、その頃には住環境も大きく変わりつつありましたし、リゾート、労働の場、公の場……いろんな場での緑化の問題がありました。緑化の場を広げて仕事をしてみたいという思いから、株式会社グリーンメンテナンス――緑を守り、育てるという意味です――、また、それとは別に環境緑化研究所という会社を興したわけです。
 現実の社会でいちばん花や緑に触れているのはお子さんと女性ですよね。にもかかわらず、造園の世界は男性の世界です。働いているのは99.9パーセント男性。現場も設計も土木屋さんも建築屋さん、施主さんも。どうして男性ばかりなんだろう? もっと女性の、母親の観点から公園とか広場が造られていいんじゃないかと思ったんです。私が会社をつくったのは17年前でしたから、女性が造園の会社を造るなど皆無といった状態で、「こなまいきな女」と言われたりしましたけどね。
そうするうちに樹木医の試験を受けることになりました。もともと受ける気はなかったんですね(笑)。林野庁が荒廃する樹木を守る策として、平成3年に立ち上げたのが樹木医制度でした。そのことを知り合いが教えてくれたんです。最低7年、それ以上の樹木の保全・保護、診断・治療に従事していることが条件でした。最初はあまり興味を持っていませんでしたし、当時子供が受験を控えていましたから、私まで受験しようとは思いませんでした。樹木医の試験って15日間かかるんですよ。1日の休日をはさんで14日間、国立研修センターに缶詰になって試験を受けるんです。樹木の生理生態、虫の害、獣害、土壌、遺伝子学、幹の外科手術、根の外科手術……いろんな科目を受けるんです。受験生の子供を残して受験するなど、とても無理です。それで、翌年になって受験しました。申し込みも締め切り前日といった状態だったんですけどね(笑)。そして、運良く合格したわけです。
 樹木医は試験に受かればいいというものではありません。志、経験、人柄も審査の対象になるのでしょう。木を守るという大切な目的のための試験ですから、ある程度は厳しいものでなくてはいけないと私は思っています。
 偶然女性で合格したのが初めてだったので、試験に受かってからの取材攻勢はたいへんなものでした。すっかり取材拒否症候群になってしまうぐらい。でも、取材に来られた方がお一人でも、木のしくみやいのちについて知ってくださればいいのかな、そのために神様が私に役割をくださったのかな、と思うようになって、それからはお受けするようにしています。
 現在、樹木医は全国で800人くらいになりましたが、そのうち女性は20名程度です。まだまだ、女性が少ない世界ですね。でも私は、緑を守り、育てるという仕事は感覚的に女性にあっているように実感しています。男性は仕事として植物と向き合いますが、女性は母親の目とか緑を鑑賞する立場として見るんです。だから、これからどんどん女性が増えればいいな、と思います。そして、一般の多くの女性も木のいのちの大切さを理解してくださるようになれば、こんなにも木が減ってしまった現状は変わっていくのではないかと思うんです。女性は育む性です。その性質を生かしてほしいですね。>>次のページ