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木は、完全に受容する

――樹木医になられた10年の間に、少しずつお気持ちが変化していらっしゃるんですね。

 そうですね。変わりましたね。昔のほうが、「勉強しなきゃ、勉強しなきゃ」「この木、なんとかしなきゃ」と肩に力が入っていたと思います。
 ついひと月前でしたか、我ながら本当にバカなことをと半ば呆れながら、真剣に考えたことがあるんです。「木はどうしてものを言わないの? どうして動かないの?」って。
 私の答えはね、すべてを受け入れるから。目の前で火事が起きても、「切るぞ」ってチェーンソーを持ってこられても、ものを言わない。動かない。
 だって、生命体のなかで動けない生き物ってほかに何がありますか? 昆虫も鳥も魚もミミズもモグラも、みんな動けるでしょう? 完全に動けないのは植物だけですよね。
 木は黙ったまま、すべてを受け入れる、許容する、許すんですね。いま、それ以外の答えは、見つけられないんです。

――樹木医になってよかったと思われますか?

 ええ。この仕事をしてよかったなぁ、と思うことがあるんですよ。私は35歳で会社をつくって、そのうちに数億の仕事がぼんぼん入るようになりました。たぶんその頃の私は傲慢で小生意気な女だったんです。庭を造ることにおいて私にできないことはない、くらいに思っていました。それが、樹木医になって、木と向き合うようになって、木に手も出ない、足も出ない私がいることを思い知ったんです。おろおろする私がいた。それで、必死に勉強させていただいた。そして、木のことを知っていく過程で、木や自然の素晴らしさに気づかされたんですね。いかに自分が小さいかがわかった。ただただ、大自然にひれ伏すしかないんです。私はこの仕事につかなかったら、傲慢なままだったかもしれないですね。この仕事のおかげで大きな自然の存在を知ることができたんです。その意味で、この仕事についてよかったなぁと思っています。
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【編集部より付記】

愛用のかわいらしい麦藁帽子をかぶって、塚本さんはフラワーパーク内を足取りも軽く、あちらへこちらへと歩いていかれます。木々の育ち具合、花の咲き具合をご覧になりながら、園内の次なる設計を考えていらっしゃるようです。いっしょに歩かせていただいた短い時間にも、次々と新しいアイデアを話してくださって、聞いている編集部もわくわくさせられるのでした。
 ときどき、フラワーパークを訪れた人々が「園長」と声をかけ、自宅の庭で育てている木の成長について質問したり、園内のお気に入りの花についてお話したりされます。そのひとつひとつに塚本さんはていねいに応えていらっしゃいました。
 いまも塚本さんのお住まいは、静岡県浜松市です。ご家族の方々は、日本国中を文字通り東奔西走する塚本さんに対して「身体に気をつけてね」とだけおっしゃって、何も反対されることはないそうです。「その理由がわかりますか?」と塚本さん。「一生懸命家族に尽くしてきたからですよ。不平不満、愚痴、悪口を一切言わずに、ね。私はね、“一日一生”だと思って生きています。朝生きて、夜死ぬ。だから、一日一日一生懸命にならざるを得ないでしょう? そして、一生懸命やっている人にはみんなが応援してくれるんですよ」
 塚本さんの黒い瞳はきらきらと輝き、周囲に元気を分け与えてくれているのでした。